僕の世界は家、駐車場、近所の酒屋だけだった。
母が心配性で小学一年生くらいまで、その範囲での行動しか許されていなかった。
マンションの駐車場と、ちょっとしたお買い物ができる酒屋。
三輪車で周辺を闊歩していた。
昔はコンビニなんてものはメジャではなかったので、酒屋でお菓子やジュースを買えていた。
お釣りの単位を円じゃなくて、両とか億千万とかころころかわる古きよき時代だった。
とにかく、母が行動を把握しきれる範囲内だけが僕の世界。
あまり不満はなく、その狭い世界だけで十分だった。
マンションは屋上とかにも忍びこめるし、駐車上ではサッカーの練習ができたし、酒屋はオバちゃんが親切だった。
マンションと駐車場を隔てるフェンス越しに、道路を眺めていて不思議だった。
なんてたくさんの車や人が通ることだろう。
今にして思えば交通量もたいして多くない道路だったが、あの時分の僕にしては未知の世界の発端を垣間見た感じだった。
狭い世界しか知らない、幼い僕は理不尽な結論を導きだす。
世界にこんなにも人が溢れているわけがない。では何故引っ切りなしに車が通るのだろう。
そうか!世界がとんでもなく卑小なことを隠すために、僕に大勢の人がいるように見せかけているのだ。
たぶん雇われた十数人の人が家の道路をぐるぐる回っているに過ぎない。
僕は騙されないぞ。
大人になった今となっては、変なことを考えていたものだと思うけれども一片の真理も含まれていたような気がする。
人間は自分が実際に触れている空気を通じてしか、世界が認識できない。
僕の狭い行動範囲のフィルタを通しては、あの結論は自然だった。
今の僕なら違う結論が導きだされるだろう。
でも見渡す場所が変るだけで、高くなって遠くが見れるようになったわけでもなく、色んなものが細かく見れるようになったわけでもない。
家族とか近所しか見れていなかったのが、LDRやTumblrを通して見るようになっただけ。
今の現状にも満足しているけれども、小さいころの世界も時偶たまらなく懐かしくなって、あの時に帰りたくなる。